経済的利益の可能性や意思決定の速さに誘われ、民主主義や自由を少し我慢すれば良いのではないかと、専制主義を選択肢の一つとして捉えてしまうとすれば、間違いである。
確かに、野放図な自由は、他者との関係性から、成立しえないが、それは、すべての人々の相互性に基づくものであって、権力者の恣意な判断によって制約されるものではない。
民主主義では、国民が為政者を選ぶのであって、為政者が国民を選ぶのではない。
専制主義は、民主的な選挙を装って、正統性を偽装したりする。
情報・言論統制は、国民の判断能力を奪うものであり、それに手をつける為政者は、国民に選ばれた者では在りえず、権力の簒奪者・パラサイトである。
民主主義は、出発点であり、その最低限のことを 最悪と見立てて嘆くべきではない。
システムがより良く機能するように育てるべきものである。
専制主義に陥ると、日常の政治システムでは元に戻すことができなくなる。
専制主義では、ポピュリズムも利用され、国民が侵略戦争を支持してしまう。
他者を犠牲にしてまで 自らの利益や目的の実現を図ることが問題であり、それを防ぐためには、他者への思いやりが 社会的に機能する必要がある。
専制主義に陥ると、人々の思いやりも機能しなくなってしまう。
専制主義は、思いやりについても、あたかも 思いやりに沿っているかのように意味泥棒を試みるが、個人の尊厳を無視する行為が、思いやりと無縁であることは明らかである。
一人の人間としての尊厳が守られるよう、他者への思いやりが 社会的に機能するためには、専制主義ではなく、民主主義・自由主義でなければならない。