プーチン大統領や 同じような思想を持つ 支持者・中国共産党・その他 軍事政権などは、ナチスについて、侵略者・外敵という受け止めしかなく、全体主義・人権無視という本質的な問題点に対する意識が欠落しているのだろう。
( そのため、ネオナチも、新たな侵略者・新たな侵略の脅威という理解なのだろう。)
外敵に打ち勝った陶酔感が強く、( 最拡大していたときの領土を基準とし ) 自身が侵略者側・ナチス側・独裁専制側に立って 人権を蹂躙していることに無感覚なのかもしれない。
鍵十字のかけらマーク ( ピース・オブ・ハーケンクロイツ ) は、音の上で「鍵十字の平和」=「ナチスの偽平和」をも 象徴しているようだ。
ロシアの軍事力を背景とした問題は ( ノモンハン事件やシベリア抑留なども想起されるが ) 、粛清・暗殺・弾圧なども含め、暗渠のような形で続いていたことが、インターネットの発達によって、世界の白日の下に晒されたということなのだろう。
人権を蹂躙する勢力と戦うとしても、他国に攻め入って、武力で遍く制圧するというようなことが無理なことは 認識されている。
一方で、虐げられている人々の犠牲を見過ごして 経済的利益を追い求めるべきでないことも 確かである。
国際社会として、すべての人を救うことができない状況は残念だが、人権無視を許さずに できることを進めていくしかない。
トロッコ問題として考えると、ウクライナを救う路線と他国が身を置く路線の切り換えのように見せかけているのは、ロシアの思考または策略であろう。
( 核の抑止力が効かない状況というよりは、核の使用可能性を前に、西側諸国が怯んで、際のところで抑止力を放棄したような形になっている。)
国連中心の安全保障や人権保障の危機という点で、各国は同じ軌道上にいるのであり、侵略している側は暴走する路面電車である。
どこで止めるべきなのか。
止めることができる能力のベストを尽くすべきだろう。
また、、医師や災害救助で たとえれば、救う能力があり、平等性・公正さの点で問題もないのであれば、目の前にいる人を救わずに 多数の人を救いに行くような判断をすべきではない。
結果として多数が救われるのが良いからといって、その計算を働かせて、誰かを犠牲にして成果を得ようとすべきではないし、解決にも至らない判断は、計算間違いでもある。