「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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中国・ロシア・その他、専制主義・権威主義諸国の一般の人々が、政権を支持し、政策に同意しているとしても、判断の元になる情報・言論が統制されていては、支持や同意は、無効である。

 

一方で、西側諸国の民主主義も不完全であり、権力側の情報統制を監視することは重要である。

 

ワクチン接種への誘導も、侵略戦争やデモの弾圧と、同根である。

 

啓蒙は、判断材料を提供することに留める必要があり、( 仮に専門家や政府の判断が100%正しいとしても ) 印象操作による誘導は、プロパガンダである。

 

国民が 主 ( あるじ ) として、主体的に判断できるようにするのが、民主主義である。

 

 

「事実」と「真実」を、客観と主観で区別することには賛成できない。

(「真相」という言葉もあるが、それはどうなのだろう。)

 

客観的事実に関する解釈を、すべて真実として扱ってしまうとすれば、「真」や「実」という語から離れてしまうように思われる。

 

相対化して、言い訳や 意味泥棒を、真実の範疇として扱ってしまうのでは 問題である。

 

真実と言えるかどうかが問われるべきであり、人の数だけ真実があるというような捉え方は、真実という言葉の意味から逸脱しているように思われる。

 

発信側に都合の良い事実や解釈だけを伝えるのでは、真実を伝えているとは言えない。

 

 

一般に、言葉の意味は、小学生の頃から、調べて覚えるということが習慣化していると思われるが、感覚的に違ったり、考えてみると同意できないこともあるのではなかろうか。

 

請け売りのような説明が ネット上に並んで、拡散しただけ ということもありそうだ。