国葬と区別して行なうという国葬義とは、アベノ ぬえ葬儀か。
また、外国が、国民に対して弔意を示したから、ということでは、国葬の理由にはならない。
言葉で表明すれば良い話だ。
そして、まさに 行政府と国民とを分ける必要があるからこそ、”公共性に配慮した” 国会での議論が必要なのである。( 三権の長も国会も、人事・ステム上、支配側として紐帯関係にある。)
政府と国民とを分けて捉えながら、国民の心について、お前(国民)のものは 俺(岸田)のもの、政権の恣意で何が悪いということでは、問題である。
海外に既に表明したことを止めるのが、日本の恥になるというよりは、少なからぬ国民が反対している儀式を強行することのほうが、民主国家として恥であり、国民や国に恥をかかせたのであれば、引責辞任が必要ということになる。
素直に謝罪して 取り止めれば、赦しもされよう。