「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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個人的な葬儀であれば ( 特別な問題があれば別として ) 、何も言われることはないだろう。

 

しかし、公的な儀式 ( 国・政府・自治体 ) として 行なえば、批判を伴なう。

 

個人の心の在り様に関わるため、それを統制しようとすることは勿論、統制を避けようとしても 軋轢を生じ、批判を受ける。

 

たとえば、国民 ( 都道府県民 ) の総意といっても 全員一致は まずありえないので、どのような存在であれ、公的な葬儀としては行なわないことが、自由民主主義に適う。

 

国葬を行なおうとするのは、故人への想いより 自分が賛同する権威の押し付けに 囚われたものである。

 

心のマイナス状況での交流について 国・政府が取り仕切るひとつが 国葬や内閣葬であり、プラス状況での交流のひとつとして、桜を見る会があった。

 

一部の人々の一体感のための会合に、国の費用・人員・時間などを大掛かりに割くことは 問題があり、国葬・県民葬などは、三途の川を見る会などとして批判がなされることが妥当である。

 

国の儀式として、総理大臣の式辞が堅苦しくなり、友人代表のそれが評価されたりしたことなども、国葬ではなく私的に悼むべきことを示した。

 

私的な葬儀で、涙を誘う弔辞は数多あるだろうし、逆に、内閣総理大臣と官房長官の関係を、友人関係として語るのは、国の儀式に相応しいとは言えない。