アベノどじょう演説と名付けておくとしよう。
野党第一党というのは、どこを向いているのだろうか。
立憲主義を旗印にしていながら、それを蔑ろにしたとしていた人物を追悼するという。
その程度のこだわりなら、茶番主義を掲げてもらわないと、有権者が惑わされる。
国権の最高機関を軽視した者の処遇として、国会での追悼はおかしいと主張すべきであろう。
議院は与党だけで構成されているわけではない。
憲法蹂躙、虚偽答弁、招集無視、行政府の長としてのやじの問題などがありながら、全会で追悼してもらえるのであれば、今後も やり得、お買い得。
悪夢とも言われていたのに、無感覚らしい。
慣例を無視した者を、慣例に沿って遇するという、事なかれ主義で 分別家 気取り、物分かりの良い お利口さん達なのだろう。
追悼は、政権に対する一定のお墨付きとなる。
政党としての姿勢や寄り添う対象を 間違えている。
ジミンのドジョウとなって ご奉仕しておけば、互助会的利己主義や名誉欲が満たされるのだろう。
また、称賛メッセージというお墨付きのお墨付き、裏書で加わる行為として繋がることにも、無頓着らしい。