「配慮」に「十分に」を付け加えて、どのように運用されていくのか分からないが、屋上屋を架す表現に過ぎないように思われる。
そもそも、十分でない配慮では、誠意を欠き、配慮したと認めることはできない。
情状酌量のような部分を、規範の中でごちゃ混ぜにすることになる。
「十分に」が付されていない配慮であれば、不十分でも良いのか。
「白」が求められる場合に、「十分な白さ」と表現しなければならないようなことは、海より深く山より高いというような、文学的修辞か 説得上の話法であって、論理や規制には馴染まない。
マインドコントロールと 自由な意思と 責任について、どのように捉えるべきか。
自由な判断に委ねようとせず、信じ込ませようとするのはマインドコントロールと考えられるし、対第三者・対社会との関係で、責任を免れることはできないと考えられる。
寄付のために、社会的に看過すべきでない問題が生じたり、被害を被る人が出てしまうとすれば、二当事者間だけの関係で是認されるべきではない。
損害・被害に関して、公平・公正な 負担と責任が 求められなければ、社会 ( 人々の平穏な暮らし ) が 成り立たない。