「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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中森明菜の「駅」( 752と754で記した ) を聴くようになってから、16,7才 デビュー当時の映像なども目にして、魅かれてしまった。

 

当初から しっかりと 歌っていて、表情や しぐさ・立ち居振る舞いが、可愛らしい。

 

才能と 努力と 人間的な魅力、そして 大輪の花を咲かせた という点で、テレビで 大谷選手の高校時代の映像を振り返るのを見るのと同じような感覚も抱いた。

 

 

当時の私は 予備校 通いで、芸能関係に ほとんど意識が向いていなかったと思う。

 

松田聖子と比較しなくても良いのだろうが、聖子のデビューとのタイムラグは、私個人にとっては大きかったのかもしれない。

( しかし、百恵や聖子が 先に活躍していなかったら、明菜のスタイルは、全く違っていたのかもしれない。)

 

レコード、カセットテープ、CDなどは、一般的にも、かなり好きになった曲でないと買わなかったと思われるので、きっかけがあって意識に上らないと、ず っと そのまま ということになる。

 

今のようなネット環境があれば、40年も経ってから再認識するということもなかっただろう。

 

インターネットは、自分の関心が向くほうに偏っていく面があるのだろうが、現実のほうでも情報が均等なわけではなく、それをネットが解消するという側面もあるのだろう。

 

関係ない話だが、明菜デビュー当時の写真などで、口を横に開いていないときの唇が、小さめで 形も 自分 (高校生のときに 富士山みたいだと 少し からかわれた ) に似ているような感じがして、何か うれしい というか。。。

 

 

さて、「少女A」を いつ聴いたか 定かではないのだが、そのイメージは かなり 強かった。

 

その後の表現の幅を広げることになったと思われるし、曲も魅力があり、結果としてプラスだったのだろうが、当初、明菜本人が、歌うことに 難色を示したということには、何だか、ほっとした。

 

「スローモーション」でデビューした17才の子の反応として当然と思われる。

本人のキャラクターではなく 歌唱の幅に過ぎないことを、もう少し はっきりと発信してくれたほうが、( 私には ) 良かった。

( 観る側は、どうしても曲のイメージに引っ張られる。)

 

その後の「セカンド・ラブ」も良い曲で、振れ幅を少し戻したのだろうが、リセットするまでには至らなかったように思われる。

 

聖子とは違う道が 切り拓かれることになったのだろう。

 

 

明菜に それほど関心が向かないまま 過ごしてきて、有名な曲しか耳にしていないこともあり、好みの曲は 聖子のほうが 圧倒的に多い。

 

女性でも男性でも、二十代半ば?くらいまでの 歌声の魅力は格別だが、年齢を重ねて磨かれていく良さや ファンの願いもあると思われるので、今後もずっと活躍を続けていただきたいと思っている。

 

( 歌が上手く 魅力的な歌い手は たくさんいて、一番を決める必要もないが )

歌の世界を美しく演じて魅せるという意味で、

”歌姫”という呼び名が 最も似合うのは、

やはり 中森明菜 なのだろう。