「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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山口百恵 『 秋桜 』( 作詞 作曲・さだまさし )で、百恵さん、聖子ちゃん、明菜 ( 好意的な 呼び捨て です。) の聴き比べの動画を見た。

 

一見すると、聖子ちゃんが負けているように思う人もいるのかもしれないが、目を閉じて聴いてみれば、それが間違いであることが分かる。

 

百恵さんや明菜と比べると、その映像の聖子ちゃんは、外見上、必ずしも『 秋桜 』仕様には なっていない感じに思えてしまうのかもしれない。 ( スタジオの明るさなどにも違いがある。 )

 

 

百恵さんは、淡々とした感じの部分も多く、それが雰囲気を醸し出しているように思われ、サビの部分の美しさも 惹きたてている。

 

ただ、引退 間近での歌唱のほうが、表現に幅が ありそうだ。

 

 

明菜は、百恵さん系の歌声と、年齢・歌手歴の積み重ねが感じられるが、聖子ちゃんとは 逆で 同じ。

 

どういうことかというと、明菜は、表情が振れ過ぎにも思えてしまうので、目を閉じて聴いたほうが、歌声の魅力が 心に響く。

 

入り込んだ結果の歌唱であれば 仕方ないが、少し抑えたほうが、批判的なコメントも抑えられそう。

 

 

聖子ちゃんの歌唱は、持ち歌でもなく、ライブでの歌唱でもなく、テレビ番組の企画的なシチュエーションのような点も、不利になっているようだ。

( 歌い終わりで、ほっとしたような笑みを見せていることからも、番組のスポット的な面が窺われる。聖子ちゃんは、歌い終わりで 挨拶的に 微笑みを浮かべる傾向もある。)

 

歌手一般で言えば、自然に 表情と歌唱が釣り合っている場合もあれば、表情より歌唱に集中している場合もありそうだし、総合的な演技として上手いということもあるのだろう。

 

また、歌詞は、半世紀近く前の母娘を描写しているとはいえ、母親像の設定には 多少無理な面もあり、聴き手も歌い手も、違和感がある部分を捨象して、娘側の感傷的な想いや、特殊な事情に添って 受けとめていると思われる。

 

 

比較して 順位・優劣をつけて満足しても ( 分析自体は 悪くないが ) 、それは、歌を味わうこととは違う満足感ということになる。

 

他を否定することによって満足感を得ても、それは、相対的な喜びでしかない。

 

自分が好きな歌手の世界を堪能するだけで良い。

 

 

比較する流れに乗って気が付いたことは、歌唱力の評価に、表情が影響している面がありそうなこと。

 

厳しく評価するのであれば、音声だけに集中する必要がある。

 

実力派と評される歌手の評価は、表情の演技分を差し引かないとフェアでないかもしれない。

 

表情も込みで、舞台上や映像上の魅力を総合評価するのであれば、容姿の魅力も否定することは出来なくなる。

 

アイドル系の歌手は、演歌歌手のような表情作りはしないので、歌唱力の評価で不利になるカラクリとも言える。

 

 

私としては、厳しい評価を下す必要はないと思っている。

( 比較するなら、アンフェアではいけないというだけだ。)

 

声楽家であろうと、実力派であろうと、歌に身分や地位は関係ないし、ミスがあるかどうかも関係なく、ただ、魅力があるかどうか、心に響くかどうかが 大切であり、比較ではなく、聴き手の好みで楽しめば良いだけだ。