「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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前回に記した、市川由衣さんの「 雨 」の関連から、みどちゃろ さん という方が カバーしている「 雨 」や「 渡良瀬橋 」も 魅力的なことが分かり、みどちゃろ さんの 他のカバーも良くて、その中に「カントリーガール」があった。

 

聴いたことがあったような気もするが、記憶が曖昧模糊としていて、記憶の修復が出来ないレベルなのは、「池上線」や「仮縫い」と同じ感じだ。

( 西島三重子さんも 谷山浩子さんも、作詞者名・作曲者名で 目にしていたが。)

 

70年代、80年代の音楽が良いと語ってみても、知らない曲のほうが多いことを再認識。

 

これから知る ( 再認識・再実感?する ) 良い曲がありそうなのは、嬉しいことかも。

 

 

さて、「カントリーガール」の 4番や 手紙の主が 誰かという話は 興味深いが、自分の解釈を詰めて ( つじつま合わせを ) 考えるには、少し頭が疲れている。

 

代筆説に従っておこうとも思うが、本人が ヒロインの魅力を 再認識して、改心したと思いたくもある。

 

 

そして、谷山浩子さん 作詞・作曲「 サーカス 」≒ 同 作詞・作曲「 ひとりぼっちのサーカス 」で、石川ひとみさんに 再び繋がったのも、興味深い。

 

「 ひとりぼっちのサーカス 」の編曲は、前々回に記した「 青い珊瑚礁 」と同じ、大村雅朗さんとのこと。

786

『 雨 』市川由衣

( 作詞・森高千里 、作曲・松浦誠二 、編曲・小西貴雄 )

 

『 雨 』は、この収録の市川さんの、素朴な歌声と 真っすぐな歌唱が ベストだと 思う。

 

アレンジも綺麗で、完成されている。

 

歌唱のテクニックに こだわった見方をしたり、売り上げが どうだったとか、アイドル系だからと見下すのでは、評価を誤ることになる。

 

楽曲とは関係ないのだが、映像では、演技の本気度が優先されているようで、明るい表情もないためか、市川さんの可愛さは、30%?くらいしか 出ていないのかもしれない。

 

メイキング映像の市川さんは、100倍?可愛い。

 

動画の始めと終わりにそれを入れたほうが、市川由衣盤への評価や 視聴者数も アップするように思われる。

 

( どなたか存じませんが ) いつの日か 観てみたい。

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松田聖子『 青い珊瑚礁  』( 作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎、編曲・大村雅朗 ) 

 

作詞・作曲・編曲をされた方々が 亡くなられて 残念なことだが、楽曲が燦然と輝いている。

 

松田聖子さんの楽曲全体が語られるときには、必ず言及される曲だろう。

 

 

もちろん 好きな曲の一つで、40年以上前から何度聴いたか分からないが、歌詞で気になったところがありながらも、確かめないままでいた。

 

冒頭に続き、二文目も、あ~青いかぁ~ぜぇ~で、聖子ちゃんの歌声に聴き入ってしまい、「 青い風切って走れあの島へ 」を、ひとつながりで読むと新鮮な感じがした。

( メロディー上のことなので、歌い方が悪いわけではない。)

 

 

聴き取れないまま、そのままにしていたのが、「 Little Rrose 」だ。

 

そのため、その直後の「 花びら触れて欲しいの 」で、いつも 少し唐突な感じを 抱いていた。

 

 

勘違いしていたのが、「 二人の頬が近づいてゆくのよ 」の「 頬 」で、「声」と聴こえてしまったまま、40年以上、意味をあまり気にせずにいた。

 

二人の頬が近づいてゆくという趣き 。。。

 

( 聴き取れていなかったので あまり関係ないが ) 発音が「 ほお 」なのか「 ほほ 」なのか、「 ほほ 」と言おうとして「 ほお 」気味になっているのかなどは、分からないままになりそうだ。

 

一般に、「 ほお 」だけでなく、「 ほほ 」という言い方が残っているのは、もしかしたら、相手に聞き取ってもらえないのも困るので、言いにくいのを敢えて言うことで、少しはっきりさせられるからではないだろうか。わざわざ?「ほっぺた」と言うのも、字数を使って、はっきりさせられるからだろう。

 

『 裸足の季節  』( 作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎、編曲・信田かずお ) の中にも「 頬をそめて 今走り出す私 」とあり、ここでは、「 ほほ 」と歌っているようなのが聞き取れるのだが、私は ずっと「 こころ 」染めてと 聴いていた。

 

( 『 裸足の季節 』は、『 青い珊瑚礁 』のような、語尾を伸ばしたときのきゅっきゅとするような歌声がほとんどないのが、むしろ特徴的とも言え、味わいの違う歌声も 魅力的。)

 

( 『 青い珊瑚礁 』の歌詞の中の )「 あなたが好き!」 は、

メロディ―の合間の 飾りのような感じで受けとめていただけだったような気もするのだが、エクスクラメーションマーク付きの文字を見ると、存在感・華があり、歌詞全体の趣きとして、ストレートだが重要なフレーズだったのかもしれない。

 

流れとしては、

二人っきりで流されてもいいの ⇒ あなたが好き!

二人の頬が近づいていくのよ ⇒ あなたが好き!

それを受けてのサビで、最高潮に。

 

 

他に、40年以上にわたって 何度も何度も 聴いているのに、知らないままにしていた 自慢の?嘆き?話として

( そんな 聴き間違いの ヴィンテージものを 開けて楽しむ時期に 来たかのかな )

 

 

『 白いパラソル  』

( 作詞・松本隆、作曲・財津和夫、編曲・大村雅朗 )

 

「 風を切るディンギー 」は、

 

外車か 大型バイクかと思っていた。

 

ヨットだったかぁ。

 

 

「 心は砂時計よ 」も、スルーしてきた。

誘われて、彼の気持ちが自分に向いている、砂が上側にある状態から、素知らぬ顔をされて、砂が流れ落ちてしまって、どっちなの?という恋心という感じで解釈することにした。

 

彼の気持ちが分からないまま、それでも 自分に向いていると思いたくて、砂時計を 何度も ひっくり返すような 気持ちなので、「 答は風の中ね 」「 あなたを知りたい 」「 愛の予感 」。

 

 

☆「 少し影ある瞳

    とても素敵だわ 」 

歌詞・メロデー・リズム・アレンジ・歌唱 ( 歌声と表現 )  すべて 趣きがあって、彼になりたいなぁ と思うが、映像では 魅惑的な 振り付けも 加わり、カメラ目線の聖子ちゃんが その夢を叶えてくれる。

 

神様が 人間に贈ることのできる 人類の最高到達点やぁ~

 

『 天国のキッス 』( 作詞・松本隆 、作曲・編曲・細野晴臣 )の「 ねえ DARLIN' 」の振り付け部分と双璧かな。

( 背景に風船が沢山ある映像の聖子ちゃんは、可愛さ全開、天界の可愛さ )

 

「 風を切るディンギーで 」の後の振り付けで、左手を上げてその逆方向に一瞬向いて戻すところも、なんかいい。

 

そして、歌い終わりの微笑みが、また 堪らない。

 

 

 

テレビ番組で『 あなた 』( 作詞・作曲・小坂明子、小坂さん歌唱のオリジナル盤も 勿論とても良い ) を、聖子ちゃんが ( 小坂さんのピアノ伴奏で ) カバーした歌唱は ( リアルタイムで観たような気もするが ) 、 泣いて 歌唱困難に陥る 寸前にまで至っていて、まさか、こちらが涙を拭うことになるとは思わなかった。

 

 

 

『 チェリーブラッサム  』

(作詞・三浦徳子、作曲・財津和夫、編曲・大村雅朗 )

 

好きな曲の一つで、なんか新しい自分になるのかなぁ~と思って聴いていたような。

 

「 描いてゆく二人で 」とあるので、彼と一緒に歩んでいくというのは分かっていたが。

 

「 あなたとの約束が叶うのは明日 」

結婚かぁ。そうだよねぇ。

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小林明子「 恋に落ちて-Fall in Love- 」 ( 作詞・湯川れい子、作曲・小林明子、編曲・萩田光雄 ) の歌詞の中の、

I’m just a woman

Fall in love

について、

「私は 恋に落ちた ただの女性」といった和訳を見掛けた。

 

私としては、Just は、woman だけではなく、Fall in Love まで掛かると解釈して、まさにという意味から、

 

「そう(よ)、私は 恋に落ちた女性 」( 恋をしている女性 )

 

といった和訳にしたいが、 just が fall in love の直前でもないので、英文法的にどうなのかは 分からない。

無理なら、

 

「私は、ただの一人の女性 … ( 私 ) 恋に落ちて ( る )」

 

 

英語ヴァージョンの歌詞も覚えようとしたら、( 英語の歌には よくあることなのかもしれないが ) 単語が飛ばされている感じのところが難しい。

 

一緒の機会に聴く曲として、辛島美登里の「 サイレント・イヴ 」( 作詞作曲・辛島美登里、編曲・若草恵 ) があり、この曲が、別れることを決めている内容のため、同じ感覚で聴いてしまっているときもあったような気がするが、同じような哀しさを抱えながらも、「 恋に落ちて-Fall in Love- 」は、恋の只中にある 切なさなのだろう。

 

I’m just a woman , fall in love を 肯定的に解釈するか 否定的に解釈するかによって、主人公の今の心情・状況について、聴き手の受けとめ方に 差が出る余地があるのかもしれない。

 

「 ダイヤル回して 手を止めた 」のは、別れたからではなく、( 携帯電ではないため ) 相手の家庭の状況からと考えられる。

 

I am not 

Livin' in your heart 

については、毎夜、彼のことを想いながら、自分が彼のそばにいない ( 彼が他の人と過ごしている ) 状況を考え、彼の心の中に私はいないのだと思ってしまう恋心であり、現実に彼の心が離れて別れたというわけではないと受けとめる。

 

 

日本語の部分など、全体的な叙述では、彼への想いや恋愛の継続が表現されている。

 

「逢えない日には」とあるので、逢う日が 今後もあることが前提になっているのだろうし、別れに直面しているとしたら、土・日に(も)いつも逢っていたい という話ではなくなるはず。

 

Don't you remember 以下、別れに至ったわけではなく、彼に会えていない時の主人公の切ない想い、恋しさの表現と思われる。

 

fire を、恋の炎 のような たとえや 激情などで 解釈すると、その激しい想いの自覚がなく ( without ) ここにいた時のことを覚えているかと問うことになって不自然に思われ、( with ではなく without なので ) 理解しづらい。

 

そこは、もう少し具体的・印象的なエピソード ( 思い出 ) の一つとして捉えて、現実に近隣で 火災が発生して、( fire の 冠詞の有無が気にはなるが ) 火事 ( 炎 ? ) に巻き込まれているという意識もないまま (それほど お互いに夢中で )  ここにいた時のことを、覚えていないの?といった内容で、私は受けとめることにする。

 

where it goes は、どこに行ったの?、行ってしまったの?ではなく、どこに行くの?だと思うので、貰った彼からの愛 ( の歌 ) を失ってしまったわけではなく、失ってしまうかもしれないという不安な主人公の心情の描写にとどまっていると思われる。

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70年代 80年代頃の歌謡曲の中には 懐メロにとどまらない良さがある楽曲も多いと思うのだが、普遍的な魅力として評価され続けるかどうかは、( 言語や文化的な障壁がある海外は別としても ) リアルタイムでは知らなかった人々の感性次第なのだろう。

 

( 最近主流?の音楽は、ダンスを考慮して創られている点で 昔の楽曲と違いがあるらしい。)

 

名曲は、私にとって 大切な拠り所である。

 

 

さて、歌詞を覚えて 自分の頭の中で再現できると、楽曲を聴く環境にいないときでも楽しめる。

( 今更ながらだが、分かった。 ) 

 

うる覚えだと 楽しさも少し足りない感じがするし、逆に、歌詞を覚えると楽曲をよく理解出来て、実際に聴くときにも、より深く味わうことができるようだ。

 

暗記は、試験のためでも 仕事のためで 苦手だが、今は 詰め込まなければならない状況にないので、楽しみながら覚えることで、後の楽しさ・有効性も数倍になり、自分の趣味として確立しつつある。

 

人がいない状況で 口ずさむと、発声の気持ち良さも味わえるし、眠くても寝られない状況で、歌詞を思い出しながら頭の中で再生すると、眠気覚ましになったりもする。

 

石川ひとみさんの「みんなも一緒に歌うのよ 。。( お願いします。。いくよ。) 」( キャンパスライブ ) を思い出すと、少し可笑しくて ( 微笑ましくて ) 目が覚めたりする。

 

繰り返し聴いて、歌詞を確認したりして、自分の楽しみのために覚えるという感覚は、新鮮な感じがしている。