「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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様々な生命を奪わないと生存していけないのが人間で、悲しいです。

 

ただ、様々な命を大切にするということも人間にとって重要であると、一般に受け止められています。

 

熊などの駆除がやむをえないとしても、命を絶つにしては判断のレベルが緩い場合があるようにも感じられます。

 

アメリカがオサマビンラディンを探し出して、その場で殺害したとされる件を思い出してしまいました。

その者によって(多くの)人の命が犠牲となるおそれがある場合には、予めその者の命を奪うのが正義に適うと考えられているのかもしれません。

 

それを問いかけて正しさの言質を得ようとするのは、人が入るべきでない神聖な場所に高速道路を作って通行しやすくしておこうとすることのように感じられます。

 

実際上は危惧や蓋然性で人を殺害することになり、正義とは思えません。

それを正当化すると、9.11の正当化を許すことにもつながると思われます。

他に採りうる手段・採るべき手段があるはずです。

 

正しさに納得するためには、手続きの適正さが必要です。

それは、単に形式的な手順を踏めば良いということではなく、専門的な判断についても倫理的な検討は不可欠です。

動物の駆除には、必ずしも正しさの慎重な検討がなされてはいないのかもしれませんが、できるだけ命を救うという矜持が必要だと思います。