「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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内心の自由が保障されるようになったのは、主に信教の自由のためかららしいですが、保障された宗教自体が信者の思想信条の自由を認めないとすれば、それを保護するのはおかしいと思われます。

 

人々が権力者から解放されても、聖職者が取って代わるだけになってしまいます。

 

宗教には良い面がたくさんありますが、殺し合いにつながる悪い面もあります。

 

教義の解釈は人間がするもなので、良くない解釈も存在しうるはずで、批判を許さないということが認められるべきではありません。