褒めるということが、肯定的な視点・評価として良いことは確かだろう。
ただ、問題が全くないわけでもない。
褒められた人が妬まれてしまう場合もあるだろう。
そういう面を知ってか知らずか、別の誰かへの当て付けや嫌がらせとして、誰かを殊更褒めて見せるということもあるようだ。
えこひいきによる場合もあるだろう。
褒められるべき人が褒められないのもおかしい。
肯定的な評価といっても、客観性・整合性・平等性などがなければ問題があるのだろう。
内輪でもありえるが、公的なことではより問題が大きいだろう。
政権についても、批判するだけでなく 褒めることが必要だという見解は、一定の肯定的評価を前提とした甘い採点に過ぎない。
マイナス評価が強ければ、子ども相手ではないので、褒めるわけにもいかないだろう。
叙勲や褒章も、政権の意向に沿っただけのものでは問題だし、政治家の互助会的な放任もおかしい。
マイナス評価を無視して、時の政権に親和的な叙勲・褒章を行なってしまうのは、恣意的な権力行使だ。
主観やえこひいきに依らないために、形式上 事無く 退任すれば 叙勲・褒章が 自動的になされるというようなことも、広く政治家や有力者への過分な評価の中でのことである。