死刑制度を肯定する理由として、抑止効果が挙げられている。
しかし、( 公開せずとも、見せしめ的な ) 威嚇効果を利用することには、受刑者の生命を道具としてのみ扱っている面と、国民一般を尊重していない面とで問題があり、肯定する理由として採用すべきではない。
単に影響が出ている状況と、それを分かって利用するのとでは違うだろう。
懲役の長さや罰金などの金額を決める場合に、人間心理一般を考慮して抑止を図ることは単に損得勘定に訴えるにとどまり、威嚇の領域にまでは踏み込んでいないと思われるが、生命を奪ったり、肉体的な苦痛を与えることは威嚇であり、質が異なると思われる。
刑罰で生命を奪うということは、人であること・主体性を奪い、他者の思いの中以外の現実では、客体でしかなくなる。
亡骸は一般に単なる物扱いはされないだろうが、通常、物体を人間並みに扱う可能性があるとしてもそれは例外的なことであり、生命を奪ったうえで人間同様の扱いをしても、客体としてのみ扱われざるを得ない状況に陥らせてしまう点で、道徳的に許されることではない。
功利主義的に死刑を肯定する見方と、マイナス面を功利的に考慮して否定する見方もありえるのかもしれない。
時代の流れもあるし、単に人々の意識が及ばなかったという面もあるが、一般人が目を背けたくなるような刑罰は残虐である。
情報開示がはばかられる面も、残虐性を指し示している。