「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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将来の生活不安や、自分の能力の無さで、憂鬱になったりする。

 

部屋を片付けることができない。

 

時間ができて部屋を片付けられたという人が羨ましい。

 

断捨離で、ときめくかどうか という基準は なるほどと思うのだが、キャラクターグッズのようなもので、見ると変わらず ときめいてしまうものや雑誌・書籍・CD・DVDなどもたくさんあって、結局、疲れて決断力が鈍り、途方に暮れてしまう。

 

大きめのプラスチックケースなど、プラスチック類が環境に悪いというようなことが一般的に認知される前に買ったものなどについても、気分が重くなる。

 

 

やらなければならないと思いながらも、本を読みたくなったりする。

 

文書処理能力があれば良いのだが、平日は読めなかったり、休日でも一日数ページしか読めないようなことが多い感じもする。(はっきりと検証する気力もない。)

 

テレビを見たくなったりもしてしまう。

 

以前は、新聞を毎日読んでいたが、元々、負荷がぎりぎりで、インターネットが一般的になったりして、読書などと合わせて、とても自分では対処できないということがはっきりしている。

 

インターネットも活用できているわけではない。

 

トータル的に自分の処理能力が足りない。

 

意見を伝えたくてブログを始めて、考えながら文章を整えたりする時間も 更に必要となっている。

 

文書作成の処理能力も低い。

 

時間泥棒の手違いで時間が増えたなら、喜んでしまうところだ。

 

日常でも、何かが気になり、こだわり、丁寧過ぎたりする面もあるようだ。

 

色々なことに時間が掛かってしまい、睡眠不足で処理能力が落ちている場合もよくある。

 

数週間にわたる缶詰め状態の新入社員研修で その悪循環に陥り、身動きもあまりとれずに じっと座って眠いのを我慢する辛さが 拷問的なものであることを実感した経験がある。

 

 

インプットが不十分で、研究者と比べるのでは、高校野球の経験でメジャーリーガーを意識するのと同じになってしまう。

 

ただ、内面的には不遜さや負けず嫌いの面も持ち合わせているので、バント ・ ボールの見極め ・ フライの判断力 ・ ベースランニングなど、一般的には評価がなされない ( プロ入りには結びつかない ! ) 部分で、 超高校級 だった …  と、自分の心の中では、面白おかしく思ってきた。

 

入部時の自分たちのレベルが低かったこともあるが、監督の方針上、上級生が現役のとき、ランニングなどの基礎トレーニング以外は、自分たちの代は ほぼ練習の補助で、自分たちの代になってからは、下級生も一緒に練習をするということになって、練習時間が削られる結果となった。

 

色々書き加えると長くなってしまうのだが、別に取り上げて記すのも 恥ずかしいので、一緒に記す。

 

人間関係は難しくて、今も苦手だが、運動部の上下関係は、不幸だった。

 ( 文科系でも、尊重し合えない関係だと良くないが。)

 

十代の運動部では特に行き過ぎたりするのかもしれないが、上級生との関係は、絶対服従的なものだった。

 

説教というのがあり、上級生に支配的な人がいて、強く責められることが度々あり、人格が乖離する感じにもなった。

 

脳が少し萎縮してしまったのではないかと、後年に思ったりした。

 

自分たちの考えからではなく、下級生に説教をするよう求められたりして、せざるをえなかったこともあった。

 

また、内野定位置のノックで、上級生が一人休みで、ノックを受けていた上級性がそのきつさから、後ろで球拾いをしていた私に対して、監督のところにいって、自分もノックを受けさせて下さいと言いに行けと言われ、仕方なく不自然な感じで言いに行く破目になったことがあった。

 

今だったら断れるようなことでも 断る選択ができないような関係が保たれている、ひとつの部分社会にいたとも言えそうだ。

 

 

下級生との関係では、下級生のほうが野球がうまかったり、体格的に大きな子も結構多く、( 上級生への絶対服従のような関係に、自分たちが疑問を持っていたりして、上級生からされたようなことを下級生にはしなかったこともあると思うのだが )  自分たちの代は軽んじられた感じで、それを受けてこちら側も下級生に好感を持つことはできず、腹を立て怒鳴ってしまったこともあった。

 

心から打ち解けたワンチームにはできず、意思疎通の面でベストにはできなかったことは残念だ。

 

 

声を出すことによって 自分の力を出しやすくなるらしいが、上級生から強制されて、練習や応援で、のべつ幕なしで声を出すことを求められたことにも 疑問を感じたりした。

 

声を出すことによって相手に対して優位に立つということが良いとは思わない。

 

あくまでも 自分の能力を発揮するための気合いとして捉えるべきだ。

 

種目自体のゲームとしての性質上、相手に十分な力を出させないという戦いもあるが、それ以外の部分では、スポーツや武道として、お互いの能力を十分に発揮したうえでの勝利を目指したい。

 

スポーツに限らず、上下関係が厳しいと、上に立つ人が必ずしも正しいとは限らない中で、強要がなされることがあり、場合によっては深刻な事態を招いてしまう。

 

 

前の部分でもそうだが、悪口として書いているわけではないので言い添えておく必要がありそうだ。

 

監督や奥さんはもちろんのこと、上級生も下級生も、見習い尊敬し感謝すべき面がたくさんあり、一方で、自分の未熟さによって、自分では意識できずに、他の人を傷つけてしまったことも色々とあるだろう。

 

 

当時の理解として、暴力が一切なかったことは良かった。

 

暴力事件があると、甲子園出場の夢が閉ざされるということが上級生の立場からも強く意識されていた。

 

ただ、当時はパワハラという言葉もなかった。

 

上級生による、正座をさせての強い叱責といったことも、今なら問題視されるだろう。

 

監督のケツバットもだめだろう。

 

ノックバットは軽いので骨に響く感じではないが、細い分の、力の集中度と金属である点で、痛さは ( 手加減次第だが ) おもちゃのバットや張りセン的な域を遙かに超えていた。(笑)

 

エラーをしたからといって罰を与えても、まじめに練習している選手には、エラーそのものの悔しさに上乗せした効果があるとは思えず、モチベーション的にマイナスのように思われる。

 

ゲーム的で楽しい範囲の罰なら良いのかもしれないが、苦痛のみの罰だと、練習を軽くしようと試みる選手などは、面従腹背的にやらされている感じが強くなり、自主性や意欲につながらず、チーム全体にも悪影響が出てしまうと思う。

 

人間は肉体的な限界的を超えないようセーブするようになっているらしいので、指導者の立場からは、危険性も十分考えながら、選手が限界よりも手前過ぎるようなところで抑えてしまわないようにと、苦慮するのだろう。

 

 

さて、自分たちの代が 中継ぎのようになってしまった話に戻るが、本格的に練習できる期間が、一年弱と二年数か月とでは、工夫や試行錯誤の面でも、最終的な到達域に差がでるのは、当然だろう。

 

他校がどうだったのかは分からないが、もともとレベルが高かった選手の練習期間が倍以上であったのであれば、互角に戦うレベルに達するのは難しい。

 

 春の大会は、秋の大会の結果によるので、下手な選手が夏休みのひと月くらで ものになるわけもなく、その時は、打席に立っても、ボールを見極められなかった。

( 見極められるようになったのは、夏が近づいてきてからだった。)

 

ドア・スイングをいつ直せたかはよく覚えていないが、バットの根元側に当ててのピッチャー・ゴロも多かった。

( 壁の前に近づいて立ち、腕を折りたたんで バットを振るというのを、上級生から教わったと思う。)

 

秋季大会の負け試合では、パーフェクトに抑えられていて、OBがデッドボールでも出ろと叫んでいたかで、左腕の骨の辺りへのデッドボールを我慢した。

 

硬球は痛いが、当たり所や当たり方の面で、他のデッドボールだけでなく、これまでの痛みを考えても、小学生の時の歯の瞬間的な激痛と並んで、一番きつかったかもしれない。

 

そのあと、後輩がヒットを一本打って、ノーヒットノーランも免れた。

 

相手との実力差を実感して、目標ができた。

 

翌年の夏の予選で対戦したかったが、こちらは勝ち進むことができなかった。

 

目標となっていた相手校は、甲子園に出場を果たした。

 

自分の打撃としては、技術的に途上だったが、ボールの見極めはできていた。

 

ボールを恐れることなく、自信を持って打席に立てたと思うが、相手も実力に磨きをかけていたはずだ。

 

 

書き加えて全体が長くなってしまっているが、一緒に記しておく。

 

 

身近なところでは、野球センスがあってうまい選手が後輩にいて、気持ち的には微妙な面もあったが、彼の技術も目標になった。

 

具体的には、ホームランを打てる力が無かったので、右中間の三塁打が打てるようになることが打撃面での目標であった。

 

タイヤを打つ練習法 ( 打つポイントや角度を考えて、近さや体の向きを変える ) を自主練習として取り入れると、インパクトの瞬間に最大の力を加えられるようにもなり、何となくできてきた辺りで大会を迎えたと思う。

 

 (バットの握りやスイングについては、つかみきれていなかったが、ドア・スイングは治っていた。

バットの握り方は、バットコントロールの面で、浅く握っていたが、力の伝わり方との関係で、どういう握り方が良いかは、確かめきれなかった。)

 

(打撃音が違ってきて、少し離れてノックをしていた監督が何度も振り返ったりした。

打球速度も速くなっていたはずだ。

ただ、基本的に、打ち上げない当て方だったので、ゴロか、弾道が低めのライナーがほとんどだった。)

 

ただ、真芯でとらえて気持ち良いバッティングだけだと、ホームランバッターではないので、その感じだけでは、今一歩だったかもしれないが、色々と確かめきれなかったのは仕方がない。

 

今の高校野球がどうなのかは分からないが、当時の自チームでは、転がすことが求められていて、打ち上げてしまうとエラーと同じような評価がなされた。( 高校野球が全体的にそうだったのかもしれないが、上級生がやっているのを見ていて、自分も含めて皆の常識的な感覚になっていた。今もそうなのかは知らない。)

 

まじめにそれだけに徹してしまい、内野ゴロの確率が高くなり、打率が低かった原因になったようにも思われる。

 

併殺での恥ずかしさもあった。

 

外野フライでのタッチアップなども選択肢に入れることができなかった。

 

そういった流れの中で、バントの技術が求められていたと思われる。

 

バントは、馬鹿正直に練習すれば技術向上に結びつく。

 

打撃練習の始めに、怖がりながら流す方向へバントするだけで済ませているとうまくならない。

 

バントだけの練習でも、選球眼を養うことに役立つ。

 

そういう面を意識できたので、熱心に練習することができた。

 

( バッティングセンターでバントをするのはもったいないという見方もあるが、私はそうは思わない。)

 

内角高めの球を、顔を背けず、身体も逃げずに、引っ張る方向にバントできて、その精度が確かになると、デッドボールになるかどうかの見極めが瞬時にでき、ぎりぎりで当たらないボールは避けずに 見送ることができた。

 

デッドボールを避けるのに重要なのは、身体の反応よりも、ボールの見極め である。

 

逃げようと構えているわけではなく、打とうとして構えている中で避ける難しさはあるが、身体の反応としては、当たる部分を15センチくらい 左右どちらかに動かせば 避けられるのであり、まともに当たってしまう原因は、早く見極めができないことにある。

 

スリーバントも、可能性はあるという意識だけで、ほとんど気にならなかった。

 

ただ、球速 150キロ、160キロ超で それができるのかは、やっていないので分からない。

 

今考えると、深刻な怪我につながるかもしれないので、労働安全などと同様に捉えると、防具なしでは 危険過ぎるのだろう。

 (  無理をせず、少しづつ自然に慣れていくことが大切だ。)

指にボールを当ててしまった同級生がいたので、誰もが同じようにできるようになれるかは分からない。

 

自分の能力的には、指先の器用さは無いが、身体の動きを調整するような、小脳の働きだかは遊びで培われたかもしれない。

 

小学生の時に、めんこは少し極めたと思っている。

 

つるつるしたコンクリートのような所だったら、3,4枚縦に並べて、( 一回転してしまうのもあるが ) どれかしら裏返しにできるようになった。

 

こま回しは、手に乗せて、紐を渡らせて往復させられた。

水車といって、縦に振り上げて紐を肩に掛けて紐で受け、吊るした状態で回すということもできるようになった。

 

バランス感覚としては、公園で友達と低い鉄柵の上を歩く遊びをしていた時に、知らない大人の人が、渡り切ったら、いくらだったかくれるということになり、十数メートルだったか、渡り切ったという思い出がある。

 

自転車のスタンディングでバランスをとるのは、大人になって練習して、ある程度できる。

 

めんこは小学生の時から全然やらずに、大人になって少しやってみたが、うまくできなくなっていた覚えがある。

 

 

送りバントが多くなり、そうでないときは普通に打つことを選択していたが、確率的には、セーフティーバントも試みたかった。

 

最後の試合では、相手投手の球の回転が良かったからか、自分も含め 皆 いつもよりボールの下側を叩いていたので、勝つためには、自分の選択としてはセーフティーバントのほうが良かったと、終わった後で思った。

 

試合中や打席内での早めの修正力も必要だったが、意識や能力がその域に至らなかった。

 

外角低めの際どい球を、うまく打つことだけ考えて、無理にフィールド内に打つより、空振りや打ち損ねがあっても、ファールを狙い、併殺をできるだけ避け、打ちやすい球を打つ機会を得るほうが良かったのかもしれないが、そういう練習はしていなかった。

 

 

 

少年野球で肩を壊した感じになって、肩の可動域が狭くなったりしたためか、肩も弱くて情けない感じだった。

 

身体の柔軟性を重視するべきだった。

 

時間配分的に考えて、下半身を鍛えることを重視し過ぎたかもしれない。

( 校内の学年ごとの10キロ走で一番になったこともあった。)

 

肩への負荷が掛かり過ぎていたようで、思うようにいかなかったのだが、大会前に練習量が落とされて疲れが取れると、試合前のシートノックの外野からのバックホームで、自分なりに満足できる返球ができて嬉しかった。

 

 

守備で最初は内野を目指したが、ゴロをうまくさばけなかった。

 

体で止めろといった先輩の声に従っていたが、後から考えると、下手な人間が身体で止めることに意識がいくと、グラブさばきを向上させることができないようだ。

 

この辺りは馬鹿正直にやっているとうまくなれないと思われる。

 

( 膝頭の腱の辺りにぶつけて、練習ができなくなったりする。)

 

( 馬鹿正直というのは卑下し過ぎた表現で、生真面目に といった表現のほうが、客観的にも適切かもしれない。バントの場合も、生真面目にひたむきにといった表現のほうが合っていると思う。)

 

悔しかったが、割といい加減な感じの後輩のほうが うまかった。

 

うまくさばけるようになるまでは、顔をそむけたり、身体が逃げながらでも、とにかく捕球できる位置にグラブを持っていくことが 大切な気がする。

 

顔をそむけるといっても、ボールをよく見ようとすることは重要である。

 

根性論などは捨てて、防具を十分に身につけたほうが良いだろう。

 

良い捕り方ができるようにするには、素振りと同じように、捕球姿勢を練習すれば良いと思う。緩いゴロで練習したりもするのだろう。

 

身体で止めるのは、ある程度 さばけるようになってからで良いだろう。

 

試合に出られるなら、いつまでも顔をそむけていると恥ずかしいので、正しい捕球姿勢の素捕り?で、恰好は整えられていくはずだ。

 

ゴロの取り方に関して、実際にそれを試せたわけではないし、全体もそうだが、残念ながら、ただそう思っただけのことである。

 

 

外野フライでは、打った瞬間の判断で、ボールから、いったん目を離して落下点に全力で向かうということがほぼできるようにはなった。

 

欠けていた点として重要だったのが、ノックが上達した人は、身体に負担が掛からずに飛距離を出す打ち方が身についていて、打球はきれいなホームラン的で、逆回転が掛かり、滞空時間も長めになる。

 

実践では、打ち損ねでボールの回転軸もずれて、切れた感じだったり、ライナー性で無回転的だったりもする。

 

監督が一人でノックしてくれたことへの感謝の意識も足りなかった。

 

当たり損ねの打球まで打っていたら、身体も持たない。

 

ノックバットも木製なら折れやすかったかもしれないし、金属製でも金属疲労で早くダメになったのかもしれない。

 

たまに来て、ノックに慣れていないOBの人の下手なノックが、実践向けに役立ったりするのかもしれない。

 

今だと、ピッチンングマシンを利用したりする余地もあるのかもしれないし、更に もっと進んだ練習ができたりしているのかもしれない。

(部にピッチンングマシンはなかったが、自分たちの夏が終わった後、部に導入された。

投手以外が投げる打撃練習やバントの練習では、普通だとは思うが、近くから投げていた。

近くから投げるというのは、反応時間と初速に少し近い点で意味はあるが、元々の速度の違いは埋められない。

お金があったとしたら、野球部で練習するより、バッティングセンターで練習したほうが、打撃力は向上しただろう。)

 

当時はグローブに手を添えて捕ることを求められていたが、それは、それよりずっと以前の素手的板状的なグローブを基にした捕り方だったらしく、今は片手捕りなのかもしれない。

 

フライを捕るときには、添える手は下にあったほうが、グラブで捕り損ねた場合に、その手でつかめる時間差ができるのかもしれない。

 

内野ゴロは突き指を避けるために丸める感じにするようだったのか、どうだったのか忘れてしまった。

 

今がどうなのかも意識して見ていなかった。というより、野球そのものも ほとんど見ていない。

 

バッティング練習でのキャッチャー役では、反対の手は後ろにして片手捕りするように指導されていた。

 

 

当時は、30℃を超えると驚く感じだったかもしれないが、水を飲むのが悪いことになっていて、隠れて飲むのを監督が黙認していているような感じだった。

 

塩分を取ることもしなかったので、練習後に水だけがぶ飲みして、だるくなったり、食欲が無くなったりしてしまった。

( 監督は塩分の重要性を認識していて、勧められたとは思うのだが、強制されたわけでもなく、自分の理解が及んでいなかった。)

 

 

上の代は、その上の代が数人しかいなかった関係上、入学してすぐにレギュラー争いの練習をできて、最後の夏はベスト8、準々決勝まで進んでいる。

 

自分の代は、三回戦負け。

 

くじシードと一勝だ。

 

一勝できたことをプラス評価しても良いのだが、甲子園を目指していた点では敗退という評価にならざるを得ない面はある。

 

何年か前までは、自分の高校野球の結果は 三回戦負けだったとしか認識していなかったのだが、前年のチームを一生懸命支えていたので、ベンチ入りしていたことを抜きにしても、自分の成果も チームとしてのベスト8 を挙げて間違いはないと思う。

 

その準々決勝では、膠着状態が続いての惜敗だった。

 

相手は、勝ち進んで甲子園に行った。

 

主要なメンバーとして加わっていない二年生の時の結果を、高校野球での自分の成果には加えない捉え方が一般的なのかもしれないが、それとは別に 成果として認識できなかった理由として、実際のチームの上級生の受けとめ方やチーム全体としての雰囲気もあった。

 

自分の代の中で、一人だけは投手として技量があって、本大会でも登板していたが、最後の試合で監督が、連投で疲れていたエースの三年生から その選手に交代させようとした場面で、件の練習量を減らさせようとした三年生などが 3年生を続投させることを求めた。

 

最後の夏だからという気持ちがあったのだとは思うが、えっという驚きや違和感があり、下級生を必ずしもワンチームとしては見ていない面の表れであったと思う。

 

負けた後で、( 上下関係を前提とすれば、自分の配慮が足りなかったのだが )みんなが暗い雰囲気だったので、あえて少し明るく振る舞ってしまい、負ける原因になったプレーをしてしまった三年生から責められてしまったことでも、自分のチームではない面を改めて感じてしまった。

 

その先輩は普段は下級生に無理な要求をしない人だったが、葬式で 身内でもない人間から笑顔を見せられたような感じになってしまったようだった。

 

上下の代と比べると不条理な扱いの下で、上級生を一生懸命に支えたのに、感謝されずもされずに 責められて終わってしまったことは、納得しづらかった。

 

( 不条理というのは、公正さを欠くことだと思われ、それ以外は 今思い浮かんで来ない。)

 

自分たちができるようになって嬉しいんだろうと、八つ当たり的になっていたので、別の上級生が止めてくれた。

 

恨まれたままなのかは、人間関係の苦手さゆえ、その後、交流をしていないので分からない。

 

卒業後にOB戦に参加したことがあったのだが、現役生がOBを野次ってくるという、一般的には認め難いことがあり、かと言ってそれを責めるのも大人げなく、( 自分流の正しさとも違うので ) ノックでお返しするというようなこともせず、母校からは遠ざかったからだ。

 

時間ができたため練習を手伝うことにしたというOBの人が、何かの集まりで話をしたことがあり、あまりの情けなさに…と言って絶句して半ば泣き出したようなことがあった。

 

人数が少なくなったりした時期のことも含めてのことだったのかもしれないが、その場の雰囲気としては、自分たちのことが意識されていたと思われる。

 

誰も口を挟まずに、そのまま流れていき、納得はできなかったが、監督の奥さんがこちらに目を向け、気に掛けてくれていたようだったので、救われた気もした。

 

( 監督も、甲子園だけが高校野球ではないことを理解していて、試合でヒットを打てて良かったなと話してくれたこともあった。

 自分のほうが、ヒットを当たり前として捉え、負けた悔しさが強かった。)

 

 

能力込みだと、公正な機会の判断も違ってくるのかもしれないが、練習の機会に差がありながら、そのことが認識されずに責められるのはおかしい。

 

人数が減ったことなどは、それまでの世代での良くない雰囲気が原因であったらしい。

 

 

高校生活全体を通して、深刻なことにはなっていないので、恨みというほどの気持ちが残っているわけでもなく、良かったことも悪かったことも、思い出の ひとコマではある。

 

 

ただ、全体を書いた後で気づいたことだが、これまで結びつけて考えてこなっかった面があった。

 

理不尽さを受け入れなければならないような上下関係への疑問・反感が強くなり、就職後に存在するパワハラ的だったり、頭ごなしなことに我慢できず、言い争いになったことが何度かある。

 

元々の性格というよりは、経験でそうなった面もありそうな気がした。

 

思いやりについて考えて、何となく平等主義的な意識が 自分の核として出来上がり、そういったことも複合して、( 現在のようにパワハラが意識されていたら多少違ったかもしれないが )組織内での成功からは外れる力がより強く作用したとも思われる。

 

正しさを判断する知性ではなく、優しさを主とした思いやりということによれば、我慢する選択もあったとは思うが、公正さが関わっている場合に、悪いと思われるほうに合わせることは、世渡り的な判断であって、客観的な思いやりとは言えないと思われる。

 

特に他者が犠牲になるような場面では、力のある方に合わせるというのは間違いだ。

 

認知バイアスがあるのかもしれないが、理不尽な上下関係や練習機会の不平等が、思いやりや平等主義・自由主義への意識を強めた面があるのかもしれない。

 

結びつけ過ぎかもしれないし、関係ないかもしれず、実際のところは良く分からない。

 

 

思いやりということを考えて平等主義と自由主義が大切になるというのは自然な流れであり、儒教道徳には、為政者や既存の社会を是認することと結び付いている面での問題がある。

 

上下関係が、恩恵で捉えられる範囲に収まっていれば、 上下相互からの思いやりの関係が成り立つし、パターナリズムも肯定的に捉えられるのかもしれない。

 

しかし、上に立つ者・権力者側の恣意・意識次第で、深刻な人権侵害に至ってしまう可能性が多大にあるし、自分がして欲しいこと・して欲しくないことは、必ずしも他者と一致するとは限らない。

 

 

職場での言い争いは、受動喫煙が原因だあったりしたが、上下関係にもっと順応できていたら、違った人生を歩んでいた可能性があり、社会的・収入的な面で成功していたかもしれない。

 

もっとも、公正さに照らし合わせれば、順応しなくて良かったと思うし、苦い経験が無かったら、ブログの内容も違ってしまっていただろう。

 

人生は、塞翁が馬的な面を否定できないが、相手を許すとしても、悪いことを良かったことにするのは良くない。

 

 

これも全体を載せた後で思い出したことだが、中学生の時に、強権的な先生がいた。

 

強権性は、恣意と結びつきやすいと思われる。

 

恣意が受け入れられるのは、甘えが許される場合か、強権による場合だろう。

 

恣意の実現という甘えを強要するのが、強権の実態として多いのかもしれない。

 

強権的と表現したが、糾弾するわけではないので、筆者の回想として 気楽に読んでいただきたい。

 

本当は英語を教えたいと思いながら、別の科目の担当をしているとのことだった。

 

テスト問題を、英単語の入った文章にしていて、授業でそれを読ませ、発音の指導がなされたりした。

 

英文に日本語が出てきたときに、その日本語を英語風に発音するので、、逆のこの場合に、英単語を日本語風に発音してもいいのではないかと尋ねたら、勝手な解釈だと、頭ごなしに怒られたことがあった。

 

また、授業で、ある世界的な名曲が扱われたのだが、紹介程度ではなく、何度も強要されてしまったというのが、多くの生徒の受けとめであった。

 

良い曲なのに、その後 20年くらい ( もしかしたら30年くらい ) は、その曲を聴くと嫌な感じがしてしまっていた。

 

反感を覚えたりしながらも、十代のその時には従うだけだった。

 

ここで考えるまで意識しなかったが、様々な出来事・経験が、成人後の深層心理にも 影響を及ぼしているのかもしれない。

 

良い思い出も記しておいたほうが良いさそうだが、、長くなり過ぎているし、恥かしさもあるので、やめておくこととしよう。

 

 

 

 

さて、不遜さを押して 述べれば、タイヤ叩きと、手の衝撃を含めた怪我の防止策を採ったうえでの生真面目なバント練習は、引退を考えたプロの打者の選手寿命を延ばすのではないかと思っている。 ( 全く、保証できないが。)

( バント練習は、バント要員ということではなく、ボールの見極めのためだ。)

 

本当は限られた人に試してもらいたかったのだが、そういう機会を 丹下段平的に?探し求めたわけでもないので、元々あったが着眼的に優位性があると自分では思い込んでいる門外不出の秘技・秘法を、秘伝にしたいのに、何となくの流れの中で、注目されない場所で 全面公開することと あいなった。

 

 

 

今現在の推論・読解力・不十分な ! 語彙力の下での表現力 などでは、多少いい部分を持っていると思って書いている。

 

今のところ、自分なりに工夫できるし、自分で考えて着想を得ることもできている。

 

客観性の全く欠けた分析ではないと思う…が、過大評価でもありそうだ。

 

過信を伴なった自己紹介になっているのかもしれない。

 

本を読んで ( 当然と言えば当然なのだが ) 、知識以外でも、自分が力負けしているのを感じたりすることは、いくらでもある。

 

眠くなったりして知的な持久力も怪しい。

 

読み進むことができても、次の日には、目の筋肉が疲れていたり、後頭部の首の付け根が凝ってしまったりして、知力だか体力だか分からない面もある。

 

学校の知能テストでは、何かに引っ掛かると進まなくなり、うまくいけばかなり進んだ感じで、結果としては、だいたい平均だったと思うので、最大出力はすごいんだと自分では思っている。

 

一方で、世の中では、フラッシュ暗算や将棋の読みなど、自分が全く劣っていることも無数にあり、プロスポーツや様々な分野の専門家、中学受験の小学生にも敵うわけではない。

 

芸術的才能などが収入に結びついている人が羨ましい。

 

短時間で大量に頭に入れて、論理比較する能力もないので、普通に大したことのない頭脳と言ってしまえばそれまでだが、人にはそれ以外の能力もあるだろう。

 

しかし、アドリブ的な頭の回転の速さも無い。

 

一週間後くらいなら、面白い反応を返すことはできるかもしれない。

 

 

やはり、人と比較して、自信を無くしたり、過信しても しょうがないのだろう。

 

軽く読んでもらうこととしよう。

 

 

自分のことを書きたくないという思いもありながら、回想的に自分のことについても表現したくなったりして自己顕示欲もありそうだが、今のところ基本的には透明人間になりたい感じだ。

 

空想上は有名人になることを想ってみたりしたことはあるし、若い頃にアルバイトでエキストラをやったこともあるが、人から見られたり認知されたりしないほうが気楽だ。

 

 

最愛の人に見守られて手を握ってもらいながら旅立つというのは良いが、息を引き取るのを他の人にはあまり見られたくないような気がする。

 

苦しまずにフェードアウトしたいが、遺体の措置もあるので、難しいのだろう。

 

心配させてはいけないので断っておくが、自死の心配は全くない。

 

自分の心配としては、家系的に癌の不安があったりする。

 

肺炎や心臓に対しても自信はない。

 

腎臓・肝臓・膵臓への配慮も、もっと必要だったのかもしれない。

 

災害や事故・事件など、悲惨なことを受けとめるのも難しい。

 

あまりどこかに負担が掛かり過ぎないようにしつつ、気持ちを楽にして生きていくこととしよう。