「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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前に書いたことで、もう少し考えてみたんですけど、

 

専門家の判断を踏まえて政治判断がなされるべきということについて、

 

判断する人に公正さの意識があればいいんですけど、必ずしもその保証がないし、他の価値を重視する国民が多い場合に、責任が問われない状態が長く続いたりすると困るわね。

 

ただ、合議がほぼそのまま採用される方式でも、専門家の判断が干渉を受けて、怪しげなことになる可能性もあるし。

 

 

結局、責任が問われるかどうかは、国民の意識次第かもしれないけど、専門家の話し合いに透明性がないと、政治判断の公正さや政治責任についての判断がしにくいということなのかもしれないわね。

 

そこが、責任者ぼやかしにつながるんだわ。

  

 

会議で提案や見解を示しただけで責任を問われるのでは良くないけど、内容についての批判を受けないように隠すというのも公正さの意識に欠けるのよ。

 

会議で出された結論が提言に留まるのであれば、なされる (なされた) 政策について責任を負うのは、会議の出席者ではなく、それを採用した (している) 最終責任者よ。