感染症対策は、経済だけでなく、道徳・倫理のフィルターも通す必要があるようだ。
みんなで頑張っているときに、いい加減な人が協力しないというのなら、罰則も必要だろうが、一部の人だけに負担がいって、協力しきれない人を罰するというのは、問題だろう。
一部の人の努力・協力による成果・貢献に、他の人が助けてもらうのなら、優遇する必要があるだろう。
多くの人より ひどい待遇にして協力させるのでは、奴隷的身分に近づいていってしまう。
みんなでやるべきことではないのか。
政令で、対象を飲食店に広げることの問題も指摘されている。
営業の自由でも財産権でも、全く同じ内容にするというのでは、自由でないことになっしまうが、平等性の観点は重要である。
店舗ごとの補償は、従業員の雇用確保の面から必要だろうが、事業者としての平等性が求められる面もある。
人に着目した支援が必要なのだろう。
頑張れば ひと月で切り上げられるという、その頑張る分とはどういうところなのだろうか。
夜の自粛を頑張れば良いのか。
ゆるいほうから強いほうの 試してばっかりだと、ため息ばっかりになるだろう。
結局、限定的にではなく、多くの人の自粛、みんなでの強い自粛ということに行き着くのではないのか。