「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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豚への蔑視を前提にして扮装させる演出だと、笑えなくなってきている世の中であることは否定できないわね。

 

ただ、( 人間は豚を食べてしまうけど ) 人間が豚を侮蔑して善いとは思わないの。

 

何かを蔑む気持ちがあれば、多様性はどこかで言葉だけになるはずよ。

 

豚を侮蔑していなければ、豚のコスプレにすることを侮辱とは捉えないだろうし、豚のコスプレを侮辱と捉える気持ちがあると、( 言葉に表さないのは善いとしても ) 太っていることを、心の中では健康面のマイナスイメージを通り越して、蔑視してしまっていることもあるんじゃないのかしら。

 

豚が醜いからというよりは、人が太っていることを侮蔑することから 豚も侮蔑されて、逆に豚と関連付けることで侮辱になるという関係だと思うわ。

 

 

痩せてる人に豚のコスプレをしてもらうのならいいの?

 

男性ならいいの?

 

擬人化というのか人の擬豚化というのか、アニメを実写化するとしたら、どういう扱いになるの? 

 

他の動物ならいいの?

 

最近のテレビ番組でも、男性タレントの方が猿に似ているといって いじられていたわ。

 

 

女性蔑視という報じられ方は間違いね。

 

内部の人間関係や人事的なことまではよく分からないわ。

 

 

オリンピックの演出では、無難でないと批判を受けるリスクが高いのは確かなので、その案が非難されて採用されなかったことは賢明だったのでしょうけど、それでも、人類が豚を蔑視して善いのか と問いかける選択肢がないわけではないわ。

 

エンターティナーの方に 動物の恰好をしてもらう演出の提案の段階で、誹謗中傷や侮辱と捉えるのは良くないとは思うわ。

 

 

女性だからというのでは、扱いに差を設けていることになる面もあるし、エンターテインメントも様々ね。

 

ものまねなどは、本人に似せながらも、容姿の個性込みで本人とは違う部分で笑いを誘うのは一般的なはずなので、突然、加害者と被害者の関係性で視聴者側に提示されても困惑するわ。

 

ただ、プロフェッショナルな仕事でも、女性への配慮を全くなくすわけにはいかないわね。

 

笑わせるのと笑われるのとは違うという面もあるけど、ユーモアは自分を笑いの対象にしたりするし、一方で、自分の容姿でも笑いの対象にすると他者の容姿と関連があったりして、難しいところがあるわね。

 

演出は他者にそれらをさせる立場だから、その点でも難しいところが出てくるんだわね。

 

 

案を出しただけで責任を問われることが良くないことは、前にも触れてます。

 

思想的に罰すると、逆転して、罰していた側が思想的に罰せられたり、違う考え方で罰せられたりする可能性もあるわ。

 

( 心の中だけでの蔑視が罰せられるのは問題があるけど、倫理的には表向きだけでなく、心中でも多様性を受け入れることが大切ね。)

 

 

男性を含めた対象について、容姿を揶揄した表現がなされた場合に、その度に笑わず抗議してきた人が世界中でどれだけいるのかも疑問だわ。

 

薄毛の人のことを笑った経験がある人が謝罪して公職を辞さなければ、扱われ方が恣意的でおかしいということにもなるわ。

 

役柄を強制されるのでは問題がありますけど、失礼ねと怒って断れば済む話なら、そのことで、オファーした人が辞職するなどしたら、圧力が掛かり過ぎでしょ。

 

まして企画段階の話で辞任騒ぎになるのは、前会長の発言で人々が過敏になって、少しずれているのを理解しないうちに、過剰な反応が出てしまったんじゃないのかしら。

 

仮に孫悟空や三匹の子豚を扱うとした場合、企画段階のキャスティングで人の名前を出したら、辞職しなければならないの?