クラスターの発生源に着目した政策は、効果がある部分を緩めると、短期間でまた、元の感染者数の水準に戻るようである。
飲食店への時短要請が ( 仕事終わりでの立ち寄りやすさの面か、滞在時間か、飲酒関連か分からないが ) 夜の8時と9時とで分水嶺になるのであれば、( 宣言発出や まん延防止措置の適用にかかわらず ) 当面は8時までを標準にしなければならないということだろう。
医療体制やワクチン接種を考えたとしても、それらが整うに従って、政府が許容する感染者数が多くなり、飽和水準近くで推移させていれば、同じことになる。
感染者数1桁・2桁・3桁…の違いは、( 無症状などで把握しきれていなかったり、把握される前の ) 潜在的な感染者数の違いが、クラスター数増大を通じて累乗的な違いとして表れるのだろう。
飲食店の時短を中心とする政策は、曖昧に一般の自粛も求めていても、火種である実体的な感染者数を保ち続ける欠点があると考えられる。
濃くて広がった状態に対して個別に対処しても、もぐら叩きになって効率が悪い。
早くやれば良かったことを一番最後になってやることになる。
緊急事態宣言を最後の手段として保持しようとする、外交カードを切るような、切り札のような感覚を持つことは、政府自体の基本的対処方針として間違っている。
タクティックな基本的対処方針以前のストラティジックな方針の問題である。
誰がやっても策が無いのであれば、それは政府の責任ではないが、遅れて出すのは完全に政府の責任である。
( 長引いたり、延長したりも、失敗であるが、緊急事態を脱したかどうか、宣言解除についての判断は別である。)
実体的な感染者を減らす必要があることから、やはり、短期間のロックダウン的な政策が必要だろう。
費用・悪影響 対 効果は、支出の仕方や制限の期間によるのだろうし、コロナ禍の終焉までのトータルで考える必要がある。
コロナの犠牲も自殺も防ぎ、経済停滞期間も短くするためには、社会全体・多数への制限回避ではなく、何よりも最短期間を目指すことが重要だろう。
効果が無くても切り上げるということではなく、全精力を注ぎ込んで達成できる最大の効果について最短期間を意識するということである。