「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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( 緊急事態宣言と並行して ) 通常事態宣言が 文化庁・政府から発出されたのかと思ったわ。

( 文部科学的 与党銀座 解禁 希望なのかとも )

 

感染抑止策を長引かせれば、人々は通常モードに近づけなければやっていけなくなるということを、政府自ら示したと言えるわね。

 

自治体どうし・政府との関係や、規制を受けるかどうかで、ちぐはぐになることが明らかな政策は、コロナ禍を増大させてしまうものだわ。

 

 

長期化で息継ぎができなくなってしまう政策が、文化や芸術に ( 通常の生活で当たり前に享受されていた様々なこと支えてきた生業にも ) ダメージを与えてしまうのよ。

 

現代では、サービス業・芸術・エンターテインメントが職業として成り立ちますけど、人々の窮状を看過しえない状況下で 国が観光や芸術を優先してしまうのでは、民びと・民衆の生活を顧慮しない貴族文化のようになってしまう感じも否定できないわ。

 

旗振りをする国の省庁が再編されて、貴族省ができるということはないでしょうけどね。

 

死者数の数量判断をつぶやいて批判を受ける政府関係者もいたようね。 

 

 

 

 

五輪開催の可否に関する分断の状況は、開催を強行しようとする為政者側が作り出しているもので、コロナ禍での絆は 片務的な協力関係ではないわ。

 

自国開催を必ずしも望んでいなかった人からすれば重荷を負わされている状況ですけど、究極的な最低限のレベルで次回以降につなげるのが日本の責務・国際貢献かも。

 

バブル方式の徹底に注力するしかないわね。

 

名称的にはお立ち台の映像が思い浮かんでしまうんですけど、対極が意識されて善しとしましょ。

 

希望する選手へのワクチン接種は、国内的な優遇ではなく、国際的な配分の問題なんでしょう。

 

( 強制は間違いだし、米国の大学のAmerichina化なども憂慮されるわ。

感染や発症の防止で90%以上の効果があるのなら、希望者が接種すれば良いわけで、マイナス面込みで強制するのがアカデミックな判断なのか疑問だわ。)

 

 

 

為政者側は、首脳会談を行なえば、そのためという大義名分でワクチン接種を受けられるのね。

 

なんか ( 恣意性・不公平感が一般にあまり意識されず ) 、うまいことやった感じかも。

 

( 先方から求められたのか、接種の遅れが恥さらしにならないようにしたのかとか、実際のところは知りませんけど。)

 

( 先日テレビで前編が放送されていた ) 映画タイタニックでは、判断ミスをした船長は、確か最後まで船に残るんじゃなかったかしら。

 

政治的最高責任者は、先に避難する正当化事由がいくらでも見つかっていいわねぇ。

 

国民へのワクチン接種が進まない中で、時の総理大臣は早々とワクチン接種を済ますことができたと、後に語られる可能性もありそうね。

 

今語っちゃていいかも。

 

選挙戦でも、気兼ねなく各地に応援に行けて有利そうだわ。

 

身勝手な解散でも準備万端よ。

 

経済合理性や死者数を冷徹に判断しても 自分たちは被害を被りにくい状況に、仕方なく身を置くことになっただけなのね。