「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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ワクチンが余ってしまって、それを無駄にしないために自分たちに使ってしまうというのは、余った場合の対処に関する無策を、都合良く棚ぼた的に捉えるものであり ( そのように設定することも可能であるし、毎日のようにチャンスもできる ) 、認めるべきではない。

 

自分たちで打ってしまったら、結局 他に探さないと無駄を出すというやり方であるし、恣意的な優遇がなされる余地も生む。

 

 

優先度の高い一般市民が替わりに受けられるよう、最初からすべきで、自分たちが一回目を打ったから、二回目も三週間で打つというような流れになるとすれば、道義的な責任を問われるものだろう。

 

医療従事者に準ずるからという捉え方については、感染リスクについて、接種希望者=感染者というわけではないので、人相手の様々な仕事と違いがあるわけではないだろうし、感染しない・させないという相互の感染対策が求められる点も一般と同じだろう。

 

 

廃棄ゼロを絶対視してしまうと、不公正を容認してしまうことになる。

 

一般の割り込みはダメだが 分配する側は良い というのは おかしい。

 

公正さを蔑ろにすべきではない。