国民全体のワクチン接種頼みで五輪開催を目指していたはずなのに、ワクチン接種が不十分でもそのまま開催してしまうというのでは、結局、五輪ありきでやってきた責任者たちだったということだろう。
また、IOC会長が安全だと言っても、プレイブックが守られなかったり、報道関係者まで含めた、五輪に伴なう人の移動・行動まで責任を負った発言ではないだろうし、日本が五輪に意識や精力をそがれた不利益は大きいはずだ。
重症化しやすい人々が、2回接種を済ませている必要があった。
医療従事者は治験的に先行された面もあるが、一般と同じ基準で進められるべきであったし、安心感は後回しでもやむをえなかったはずだ。
ワクチンは完璧ではなく、防護をしっかりと行なうほうが重要だろう。
風邪をこじらせて亡くなってしまうような、従来からあるリスクは別として、全体の接種率や集団免疫といったことではなく、医療としての個別性に基づいて、リスクの高い希望者からの接種を進めるべきであったし、今後もそうあるべきだ。
変異株の拡大に50代・40代の接種が間に合わなかったのは、全体的に行なうことによって遅滞なく進んでいるように見せた政権の責任である。
ワクチン接種が進み、感染がある程度拡大しても、亡くなる人の割合が風邪などと同じレベルになれば、新型コロナを特別視する必要が無くなる。
感染症のカテゴリーの見直しにより、医療逼迫も防ぐことができるだろう。
ただ、英国のような早期の全面的な規制解除は無防備になり過ぎる。
状況を見極めながらの緩和でなければ、人命を軽視することになる。
米国も、何十万人も亡くなって感覚がおかしくなって、ワクチン接種ですべて解決したかのように捉えてしまったのだろうか。
身近なところでは、( 接種が済んだのかわからないが ) 20代か30代のカップルが店内でマスクを着用せずに買い物をしているのを見てしまった。
接種が進む過程でも変異株の拡大が憂慮され、先に接種できた人が感染対策が緩めたり、有利な扱いを受けて感染対策から外れた行動をとったりすることは道義的に問題がある。